心の奥底から湧き上がってきた言葉で、自分を見つめよう
森瑤子・我が娘の断章
ひまわりちほりん
作家としての多面的活動を余儀なくさせられる妻に対する夫の無理解と、かなり甘やかされた三人の娘の勝手気ままな生き方、エスカレートする経済的圧迫などを、森瑤子はいくつかのエッセイでユーモラスに書いている。
こうした出費と気苦労に対して、つい愚痴をこぼしたくなる気持ちはわかる。
エッセイの中で森瑤子は、「鶴の恩返し」のおつうのように、私は自分の骨身を削って家族の生活を支えている。
まるで「おつうさん」みたいなものだと述懐している。
森瑤子の最大の悦びは「ものを書くこと」だったと思いたい。
旅行、スポーツ、観劇、音楽界、会食など数々の物質的・精神的な喜びよりも、もっと根源的な喜びは「ものを書くこと」にあったはずである。
プロ作家なら誰しも「書くこと」の苦しみを味わうが、同時にそれは悦びでもあると思う。
構想の悩みと楽しみ、ペンを取ったときの不安と高揚、筆の奔放な流れの喜びと行きづまりの痛苦、そして作品を完結した時の、仕上げの充実感と奇妙な空虚さ。
多くの人に読まれる恐ろしさと、理解される嬉しさ。
大なり小なり、プロ作家には苦痛と背中合わせの悦びがある。苦痛が大きいほど悦びも大きいのだ。
鶴の「おつうさん」だって、夫のために織りあげた衣装がより美しくあることに悦びを感じただろう。
しかし彼女には夫の感謝以外に報われるものはほとんどない。
しかも、彼女の場合、作りうる衣装は二枚か三枚に限られる。
そこで羽が尽きてしまうからだ。
それにくらべ、小説家には無限の可能性がある。
そこが違うのだ。
努力と才能次第で、何十枚何百枚の「衣装」を織り出せるのである。
そして、一枚一枚と充実感をふくらませてゆける。
繰り返して言うが、森瑤子は、断じて「おつうさん」ではなかった。
彼女は充分に生活を享受し、欲しいものを手に入れ、そして、創作の苦悩を通して最大の悦びを得たことを強調しておきたい。
彼女自身もそれを認め、エッセイの中で書いている。
伊藤三男著「森瑤子・我が娘の断章」より。
著者は、1993年7月に、53歳で癌で亡くなった森瑤子さんの父親である。
父親として、娘が親より先に逝ってしまったをどんなに悲しんだことだろう。
しかも、娘の夫婦生活がうまくいっていないこと。
娘の印税や原稿料などで家族の生計が成り立っているのに、たいして収入のない娘の夫が、カナダの小島や何千万円ものヨットを買ったことなど、悔しかったに違いない。
森瑤子さんは、イギリス人のアイヴァン・ブラッキン氏と結婚した。
しかしやがて森瑤子夫妻の間では、離婚の話なども出たようである。
けれども伊藤氏は父親として、作家としての娘がどんなに幸せだったか、充実していたかを書いた。
夫婦のことや子どもたちのこと、家計のやりくりなど多くの問題があったにもかかわらず、だ。伊藤氏も投稿したりしていたので、書くことの悦びと苦しさを知っていたからだろう。
私は去年、自分の土地と中古住宅を手に入れたくて手に入れたくて、たまらなかった。
4月から息子が小学校に入学するので、この3月までに購入して引越ししたかった。
ハローページに載っているすべての不動産屋さんに、隣町の不動産屋さんにも電話して、希望料金を提示した。
私は、シングル・ペアレントだ。
実家に戻ることもできる。
しかし親に監視されて暮らすのは、もう嫌だった。
けれども離婚しても実家に帰らなくていいならば、日本どころか、地球上のどこに住んでもいいわけだ。
わーい!やったー!
海外に行ったらとも言われたけれど、ツアー・コンダクターをしていた私は、日本という自分が生まれた国が大好きになっていた。
死ぬときは日本の自宅の畳の上で死にたいと、ヨーロッパやペルーや中国などに添乗に行くたび、思っていた。
だから外国に住みたいとは、思わなかったのだ。
旅行ならいいけどね。
それで息子を”いい学校”に入学させたくて、全国の私立小学校を見てまわった。
”いい学校”のそばに引っ越そうと思ったのである。
しかし、完璧に理想どおりの”いい学校”はなかった。
また学校を見て回るううちに、学校よりも母親である私がどう生きるかの方が、子どもに大きな影響を与えるということがわかった。
それで結局、”理想の家”が見つかるまで、別れた夫の住む町の近くに家を借りて住むことにしたのだった。
私には、”理想の家”があった。
知り合いが住む家である。
1000坪の土地に、古民家や納屋、田畑が付いて、月10万円で住んでいる人がいる。
何回も泊まらせてもらった。
夜、庭に出ると、隣家の明かりが見えない。
だから夜空の星が、くっきり見える。
庭の竹林で竹の子を掘って、竹の子ご飯を作った。
庭で土筆(つくし)を取り、はかまを取ってから味噌汁に入れて食べた。
家の中は広いし、子どもたちが寝た後、高い天井を見上げながらお酒を飲んで話すのはとても楽しかった。
私も、そんな自分のお城がほしかった。
借家だから、子どもたちがふすまに穴をあけたり、畳の上でおもちゃ箱を引きずったりするたび、ピリピリと叱りつけていた。
家のまわりに少しばかりの敷地はあっても、砂利をのぞいて畑を作れなかった。
自分の所有する、つまり誰からも文句を言われずに自分の住みたいように住める家が、去年はどうしてもほしかった。
自分の貯金を全額はたいてでも、買いたかった。
まだ仕事もないのに、貯金を降ろしてでも買いたかったのだ。
母子家庭の母親は、正社員になって1年たたないと銀行ローンは借りられない。
だから、キャッシュで買うつもりだった。
ところがそれが、ついに見つかった。
土地88坪に中古住宅22坪が付いて、300万円である。
諸費用、そしてリフォームは最低限の畳換えだけにすれば、400万円でおつりがきそうだった。
やったー!
ついに、希望が叶ったのだ。
不動産屋さんより、早く現地に着いた。
今住んでいる借家とたいして変わらないつくりの家だった。
ま、建てるのにお金をあまりかけていない家である。
しかし、土地は88坪ある。
砂利が敷き詰められているのをのぞいて、畑にしよう。
ところが、ちっともワクワクしない。
あれ、おかしいな。
自分でも驚いた。
やっと念願が叶ったのに、どうしてうれしくないのだろう。
不動産屋さんに、いつかお金を貯めてこの家を転売しもっといい家に住みたいが、10年後でも300万か、それ以上で売れるでしょうかと聞いてみた。
そうしたら、500万円でも売れますよと言われた。
かなり破格のお値段の家だったのだ。
リフォームも急げば、4月の入学式までに間に合いそうだった。
すぐに転売しても、100万円くらい儲かりそうだった。
もう、これ以上の安い物件は当分出ないだろうと思った。
不動産屋さんと別れて、周辺を歩いて見て回った。
家の北側100メートルくらいのところに、産業廃棄物工場があった。
ちょうど風の向きのせいで、白い煙は家とは反対方向に流れていた。
嫌だな、と思った。
体への影響を心配してのことである。
家の南側100メートルには、高速道路がいずれ建設されるということだった。
騒音や景観の見苦しさ、排気ガスの影響はどうだろうかと思った。
帰宅して、何人かの友人に電話して聞いてみた。
参拝工場や高速道路の近くに住むことについて、意見を伺ったのである。
友人は困った声で言葉を濁した。
私だって、そんな場所に住みたくはない。
けれども転売して儲かりそうだということが、頭から離れなかった。
両親に電話して、週末に見にきてもらうことにした。
しかし翌日。
小説を書く話が、今私にある。
そのため上京して、指導してくださる先生方と打ち合わせをした。
東京から帰る長い道のりの電車の中で、私は自分の気持ちに気づいた。
ついに私は、自分の気持ちを認めた。
家を買うより、書きたい。
パソコンに5分でも長く、向かっていたい。
貯金をはたいて家を買うより、学校に行きたくないと言っている息子と一緒に、学校を休むついでに長期旅行でもして、書くネタをいっぱい仕入れてきたい。
去年末から、メール・マガジンを3誌、書き始めた。
2誌は、日刊だった。
毎日毎日、書いた。
最初は書くことが楽しくて、自分が書いたものを発信できることがうれしくてたまらなかった。
1ヵ月後。
自分の引き出しが空になって、書くことが苦しくなってきた。
それでお正月休みをとって充電したり、週6日の発行にしたりした。
それでも生活や人間関係のことで落ち込んだり、書く内容が見つからなかったりで、
書けない日あった。
しかし、発行日は守らなくてはならない。
毎日、無理やりでも書いた。
無理やりでも書いてきた毎日。
4ヶ月ほどのことだというのに、書くことから離れられなくなっていた。
こんなに自分が書くことの魅力に取り付かれているとは、購入可能な家を目の前にするまで気が付かなかった。
だから森瑤子さんが、どんなに生活や家族のことで悩んでいても、書くことで最大の悦びを得ていたはずだと言う父親の気持ちがよくわかったのであった。
このコラムの依頼を受けたとき、舞い上がるほどうれしかった。
でも自分が発行元であるメール・マガジンのよりも、もっとすごい内容にしなければと気張ってしまった。
それで、タイトルだけはかっこいいものが浮かぶのだけど、自分の身の丈と合わなくて、書けないまま何日もたってしまった。
ちなみに考えたタイトルは、
「美女的言葉で、美女になる」
「キラキラ言葉で、美女的人生を生きる!」
「DEEP but SWEETな、美女的人生を生きる」
などであった。
しかし、私は美女ではない。
美女になりたいが、どうしてもなりきれなかった。
それでついに背伸びをしないタイトル「心の奥底から沸きあがってきた言葉で、自分を見つめよう」に決めたとき、
”美女”という言葉を棄てたとき、
書き始めることができた。
コラムを初めて書く、私の小さな苦悩であった。
そして書き始めることができた、喜び。
恥ずかしながら、こうして皆さんとお会いできた悦び。
私は家よりも、欲しいものを手に入れた。
書く悦びである。
(ひまわりちほりん)朝日新聞夕刊の記事より ||次へ→
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