心の奥底から湧き上がってきた言葉で、自分を見つめよう
深夜特急 第三便
ひまわりちほりん
そうだ、あれはタイでのことだった。
ソンクラーのホテルでバンコクに駐在する日本人の夫妻と知り合い、ひと晩、バーで酒を呑んだことがあった。
とりわけご主人はタイについて詳しく、私が抱いていたタイやタイ人についての疑問に納得のいく答えをいくつも提出してくれたものだった。
ところが、夫妻が披露してくれたタイ式一口噺(ばなし)にひとしきり笑ったあとで、御主人が真顔になって言ったのだ。
しかし、外国というのはわからないですね」
私にはその言葉は意外だった。
彼がどういう種類の仕事をしているかあえて訊ねなかったが、それまでの断片的な話によってさえ、タイの政治と経済について深い知識をもっていることは歴然としていたからだ。
「外国ってわからない」
御主人が独り言のように繰り返し、さらにこう付け加えたのだ。
「ほんとうにわかっているのは、わからないということだけかもしれないな」
「でも、さっきからいろいろな話をうかがっているうちに、タイという国が少しずつわかってきたような気がしましたけどね」
私が言うと、彼は苦笑して言った。
「いや、ああいったことくらいでひとつの国をわかったように思うのは危険だよ」
それはそうだろうが、と私が反論しかけると、ご主人はそれを制して続けた。
「状況はどんどん変化して行くし、データなんかは一年で古びてしまう。それに経験というやつは常に一面的だしね」
確かに、それはそうだ。
「知らなければ知らないでいいんだよね。自分が知らないということを知っているから、必要なら一から調べようとするだろう。でも、中途半端に知っていると、それにとらわれてとんでもない結論を引き出しかねないんだな」
そういうことはあるかもしれませんね、と私は相槌(あいづち)を打った。
「どんなにその国に永くいても自分にはよくわからないと思っている人の方が、結局は誤らない」
なるほど、と思った。
日本にも、外国にしばらく滞在しただけでその国のすべてがわかったようなことを喋ったり書いたりする人がいる。
それがどれほどのものかは、日本に短期間いた外国人が、自国に帰って喋ったり書いたり下に本論がどこか的(まと)はずれなのを見ればわかる。
日本人の異国論だけがその幣(へい)を免れているなどという保証はないのだ。
わかっていることは、わからないということだけ、という彼の言葉は新鮮に響いた。
沢木耕太郎著「深夜特急 第三便 飛行よ、飛行よ」より。
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私は以前、ツアー・コンダクターをしていた。
しかし恥ずかしながら、行ったことなどない国のほうが多かった。
自分が初めて行く国の添乗のときは、お客様に自分が初めて行くということがばれないようにするので、いつも気疲れした。
初めてヨーロッパ添乗をしたときは、卒業旅行に出かける大学生の集まりだった。
バチカン市国の大聖堂を見学したときのことだ。
中に入ってすぐの右手に、ミケランジェロの作った傑作、ピエタの彫像があった。
ガイドが先頭に立って学生たちを案内し、私は迷子が出ないように一番後ろからついていった。
いかにも何度も来たことがある振りをしようとして、私はガイドの説明も聞かずに、一番後ろにいた学生とおしゃべりをしていた。
説明など聞かなくても、何でも知っているという振りをしようとして。
ところがその彫像を離れたとたん、私としゃべっていた学生が、
「今の、なんでしたっけ?」
と聞いてきた。
ガイドの話をちっとも聞いていなかったので、それが有名なピエタだとわからなかった私は困ってしまって、前を歩いていた男子学生に、
「ねえ、あれ、なんて言うんだっけ」
と訊ねた。
男子学生は、
「ピエタですよ。知らないんですかあ?」
と、大きな声で言った。
その後学生の間で、私がヨーロッパは初めてだという噂が広がった。
ま、まずいっ。
お客様より何でも知っていなければならないと気負っていた私は、先輩がドイツで録音してきてくれたガイドの説明の話を思い出し、
「この間来たときには、ガイドさんがこんなことを言ってたよ」
と、必死で初めてではないとアピールしたのだった。
海外添乗に出るようになると、行く国、行く国、初めての国ばかり。
お客様のほうが前にも来たことがあるとか、英語が堪能だとわかると、びびってしまった。
何とか、自分のボロが出ないようにするので、精一杯。
仕事とはいえ、せっかく出かけた海外旅行を楽しむどころか、自分が恥をさらさないように、間違わないように、間違ってもお客様に不快を与えないようにとりつくろうことで、気疲れするばかりだった。
わからないことをわからないと、正直に言えたらよかったのに。
ベテランじゃないなんて見ればすぐわかるのに、数年の経験があるばかりに初心者とは見られたくないと気負いすぎて、お客様と一緒に旅を楽しむことができなかった。
わからないことだらけの外国で、ツアコンとして「わかりません」と言うことを恥だと思っていた。
「申し訳ありません。わからないので、調べてきます」
と素直に言うことを、ツアコンとして失格だと思っていた。
すべてを知っていないということは、事前の準備、勉強不足のせいだと自分を責めたのだった。
また、
「こんなことも知らないの?」
と、お客様に馬鹿にされるような気がしたからだった。
たとえそう言われても、わからないこと、知らないことがあるのは恥ではない、お客様からでも誰からでも学べばいいのだと思って、謙虚になれればよかった。
ところが私は、なんでも知っているのよなんていう振りをしていたばかりに、現地の人やお店でお客様の前で何も質問できず、ますます知識が増えずじまいになってしまった。
最近も、必要以上に自分が能力があるのだと示そう、示そうと無理していた。
毎日疲れながらも、必死で自分に鞭打って、優秀だと見せようとしていた。
しかし、どうやっても自分が持っているものしか出せない。
化けの皮は、いずれはがれるのである。
私は、自分で化けの皮をはいでしまった。
すると、なんとすっきりしたことか。
自分で自分をほめようとしなくても、誰も私をほめてくれなくても、毎日、気分すっきり!である。
誰かからほめられたい、でも誰も私をほめてくれないから”仕方なく”自分で自分をほめようとしていたが、その必要もなくなってしまった。
なんせ、気分すっきり!だからである。
わからないことは、わからない。
できないことは、できない。
仕事の場でも、家庭でも、そう言える自分でいたい。
無理をせずに、できる範囲内で一生懸命やるだけの自分でいたい。
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