心の奥底から湧き上がってきた言葉で、自分を見つめよう

爆笑問題の日本史原論

ひまわりちほりん

太田  いや、今のは冗談にしても、本当にくわしいんだって。
田中  ほう、じゃあ、どのへんの時代が得意なんだよ。
太田  長嶋引退からこっち。
田中  最近じゃねえかよ!お前物心ついた後だろうが!

太田  お前、その前の記憶あんの?
田中  記憶してなくていいんだよ!日本の歴史なんだから。学校で習っただろうが、
      鎌倉時代とか、室町時代とか。


太田  ああ、なんだ、そういう時代のことか。だったら最初からそう言えよ。
      それなら俺だって得意な時代ぐらいあるよ。
田中  最初からそう言ってるよ!
     ・・・で、お前の得意な時代っていうのは、いつなんだよ。
太田  青春時代。

田中  バカかお前は!
太田  やっぱり、何だかんだいっていちばん輝いてたな。友達と一晩中バカやって、
      思いっきり殴り合って、でも、明くる日になったらケロッとして、二人で水に
      飛び込んだりしてサ・・・。 
田中  何やってんだよ!お前、まったく意味がわかんないよ。そういう時代じゃないだよ。

太田  じゃ、不良時代。
田中  それも違う!
太田  なんだか異常にムシャクシャしてよ、学校の窓ガラス、机で割って、仲間
      と初日の出見ようって、富士山までぶっ飛ばしたら、死んだアイツが空で笑ってやがった・・・。
田中  だから、何だかまったく意味がわからないんだよ、お前のたとえ話は!

太田  あとは、やっぱり、下積み時代。
田中  だから、違うんだよ!
太田  やっぱり、俺たちもここまでくるのに十年かかってるからな、うれしかった
      よなぁ、初めて二人、そろいのスーツでネタやったとき、客にはぜんぜん
      ウケなかったけど、踊り子さんたちはみんなまるで自分
   のことのように喜んでくれて、こっちがいいって言ってんのに自分の分の
   握り飯くれてさ。あっ!お前、覚えてる?マドロス漫談のサミー師匠、
   この前アパートで餓死してること見つかったって・・・。
田中  うるせえよ!だいたい、俺たちにはそんな下積み時代はねえじゃねえかよ!
   いつまでも意味不明のボケ延々と続けやがって、しかも時代って意味もぜんぜん
   違ってんだよ。わけがわからなくなるから、二重三重のボケするな!



爆笑問題著「爆笑問題の日本史原論」より。
cover



先日、両親と我が子たちと奥日光に2泊3日で旅行した。
湯滝から小滝(こたき)へ、そして戦場ヶ原から小田白ヶ原へと木道を散歩した。


戦場ガ原へと歩き始めた朝9時、女優の八千草薫さんとすれ違った。
両親は気付かずにいたので、私はそばにいた母のひじだけ突っついた。

八千草薫さんが立ち去ってから、母に、
「今の人、わかった?」
と聞くと、
「綺麗なおばさんだなあとは思ったけれど」
と言いながら、後ろを振り返った。

そして、
「もう80歳近いと思うけど。結婚した相手が山好きで、それから歩き始めたらしいよ」
と、教えてくれた。


朝の9時に散策が終わるなら、早朝から歩き始めたのだろう。
私も、朝早く歩いてみたいなと思った。

それから家族で歩いた戦場ヶ原は、私と母の湿原のイメージと違って森の中だった。
コースによっては、森の中のようなところを歩くことを知らなかったのだ。

着いた小田白ヶ原は、木々がほとんど生えていない、見晴らしのよい湿原だった。
そこまで約1時間半。
「歩きたくない」と言い続ける息子と、ちょうどよい疲れで終りにしたい両親。

ちょうど低公害バスが、小田白ヶ原に到着した。
私たちはそのバスに乗って駐車場に戻り、レストランでランチを食べて帰宅した。


私は、歩きたりなかった。
自分のイメージと違った戦場ガ原を、もう一度、それも早朝に歩いてみたかった。

明日から子どもたちが、父親夫妻の元にお泊りに行くとなったとき、ふと、ひとりで奥日光に行ってみようかと考えついた。

車で片道約3時間。
往復6時間。
ひとりでそんなに遠くまで出かけていくのは、母子家庭だから子供が父親宅に泊まる日しかない、唯一のひとりきりの休日を過ごすのには、往復の時間がもったいないかな。
でも、どうしても行ってみたかった。


私はお弁当の朝食をリュックに入れて、朝の4時に家を出て車で走り出した。

まだ暗い朝の4時。
でも、5時ごろには車のライトをつけなくてもいいくらい明るくなった。

日光いろは坂は、初めて自分の運転で登る。
登りは2車線だったので、軽自動車でゆっくり走っても気にしなくて大丈夫だった。


「い」「ろ」「は」と看板の続くカーブを登り終えた私は、やったー!という気持ちだった。


離婚してから、私はいろんなことにトライしている。
子どもが父親宅にお泊りしている日の夜中2時に家を出て、レイト・ショーの安い映画を見に行った。
北海道や沖縄でレンタカーを借りて、走った。
首都高速を乗りこなして、実家に帰省した。

そして今日は、いろは坂を制覇したぞ!


3時間を予定していたが、2時間で奥日光に到着できた。
うわー、近いなあ。
これなら、日帰りで十分来れる範囲だなあ。

私は自分の行動範囲が、どんどん広がっていくのがうれしかった。

ひとりで貴重な時間を使って遠くに出かけるのがバカバカしいような気もしたが、やってみれば自分の可能性が広がったことを知り、自分の世界が大きくなったことに気付けた。
そしてそんな大きくなったような自分が、うれしくてうれしくてたまらないのだ。


6時半に駐車場を歩き出してから、まずは木道の途中に座って朝食。
今日は私のイメージ通りの広々とした湿原であった、戦場ヶ原のまんなかを横切って歩くことができた。

それから小田白ヶ原を歩いたが、まだ9時前だった。
私には、もう一つ目的があった。
中善寺金屋ホテルで、ランチを食べることだ。
歩きたかったコースは歩き終わってしまったが、ランチにはまだ早すぎる。

地図を眺めて、私は西ノ湖(さいのこ)まで足を延ばすことにした。


しかし、それからは遠かった。
「このあたりで熊の目撃情報が出たので、音の鳴る物を持参してください」
という看板を見ながら、ひとりで鈴も持たずにびくびくしながら山の中を歩き始めた。

途中からは木道の破損のため迂回路を歩くようにという指示通りに、石ころだらけの歩きずらい道を歩いた。
1時間歩いたころから、足の筋肉が固まってきた。
3時間歩いたあとの休憩では、靴を脱いでむくんだ足を開放した。
そのころから右足だけ靴擦れができ、右足の歩き方を変えながら歩いた。


西ノ湖まで2時間。
それから、千手(せんじゅ)ヶ浜まで30分。
お腹のすいた私は、ホテルでのランチをひたすら頭に浮かべながら歩き続けた。

30分の朝食後は4時間歩き続けたので、そこからまた駐車場まで2時間半かけて帰るにはくたびれ果てていた。
千手ヶ浜からは私は低公害バスに乗って、駐車場に戻った。

トイレでレストラン用の服に着替えをしてから、ホテルに行った。
そして大正コロッケがメインのランチ・コースを、私は気取って食べた。


抹茶アイスクリームとコーヒーで食事を終えた私は、いろは坂を下って帰り道を急いだ。
帰りは混むかと思ったが、2時間半で帰宅できた。
道に迷ってしまったが、おかげで混まない道を見つけることもできた。


ちょうど夕方4時に家に着いた。
朝の4時に出かけたので、12時間の旅だった。


子どもたちが帰って来る前に無事に戻れた私は、まだ興奮している。
小さな冒険をやりとげた私は、うれしくってたまらない。

やろうと思えば、できるのだ。
離婚したひとりぼっちの女性でも、41歳の年齢でも、ときどき孤独感から友人や家族を恨んでしまう私でも、できるのだ。

自分の可能性を、行動範囲を、そして自分の人生を広げることも、自分でできるのだ。




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