心の奥底から湧き上がってきた言葉で、自分を見つめよう
まわりみち極楽論 人生の不安にこたえる
ひまわりちほりん
例えば「私はこの一ヶ月、息子のことで悩んでいた」って、
普通にさらりと言っちゃうわけですが、実がその一ヶ月の間にはおいしいお菓子も食べたし日帰りだけど温泉にも行ったみたいな、いうとややこしくなる事実があるわけです。
しかしそういうことは全部無意識に省略しています。
省略することで全ての文章は成立するわけです。
だから本当のことを言うと、
この一ヶ月の間に食べた美味しいお菓子のことだけ喋ると、
まったく違う一ヶ月になる可能性があるわけですね。
玄侑宗久(げんゆう そうきゅう)著「まわりみち極楽論 人生の不安にこたえる」
(朝日新聞社) より。

ツアー・コンダクターの仕事をしていたとき、パリで1日フリータイムがあった。
私はホテルのロビーでお客様を見送った後、飛行機のリコンファームなどの用事を済ませ、それからの半日をパリ郊外に出かけることにした。
ゴッホが自殺したオーベル・シュルオワーズに、電車に乗って出かけたのだった。
特にゴッホが好きというわけではなかったのだが、パリの街は何度も歩いていたので、半日の時間で出かけられる郊外に行ってみたかったのだ。
ゴッホの美術館に入った。
私はゴッホの絵の風に大きく揺れる糸杉の木や、ぐるぐると渦巻く空のうねりなどに魅了された。
何枚もポスターを買って、外に出た。
それからゴッホの絵の舞台となった市庁舎に、歩いていった。
石造りの小さな市役所。
何の変哲もない、石でできた建物だった。
それなのにゴッホの絵を見ると、どうだろう。
ただの建物を描いただけの絵なのに、絵の中の市庁舎は生き生きと呼吸し、自分の存在を高らかに主張していた。
私は買ってきたポスターの市庁舎の絵と、実物とを何度も見比べた。
そうして初めて、芸術の素晴らしさを理解した。
ただの建物を、見る人をひきつけるほどの建物に描きなおすという力は、なんと凄まじいものだろう。
なんという情熱だろう。
それ以来、私はゴッホが大好きになった。
家の壁中に、買ってきたゴッホのポスターを何枚も貼った。
別なヨーロッパ・ツアーで、ゴッホの絵を美術館内で解説してくれたガイドさんに私は驚いた。
「ゴッホは寂しがり屋だったので、黄色をたくさん使って絵を描いた画家でした」
私には衝撃的だった。
色で、その人の性格がわかってしまうとは。
黄色とは、寂しがり屋の色だったのか!
そして私は、自分の未来を恐れた。
ゴッホが大好きな自分は、ゴッホのように気が狂ってしまうのではないか?と。
あるツアーで、私は美術館をガイドしてくれたガイドさんにそのことを思い切ってたずねた。
でもガイドさんは、驚いたように否定した。
ゴッホが好きだからといって気が狂うとは限らない、関係ないと。
私は、ひそかに安心したのだった。
でも離婚の前後から息子の好きな色が黄色とわかったときには、息子に寂しい思いをさせているのではないかと心を痛めた。
そしてやがて息子が緑も好きと言い出すと、とても安心した。
緑は、平和なイメージがあったからだ。
ああ、離婚した後私も落ち着いたから、息子の心も落ち着いたのかもしれない、寂しさが薄れて緑を受け入れられるようになったのかもしれないと。
けれどもカラーセラピーの本を今読むと、黄色はお茶目で陽気、社交的、とらわれのない自由人であるなどと書かれてある。
なんだ、どこが寂しがり屋なんだ?
でも社交的だからこそ、寂しがり屋なのかもしれない。
全ての色には、長所と短所があるのだろう。
そして短所は、いつでも長所にひっくり返る可能性があるのだ。
それなのにゴッホが好き=私もいずれ気が狂う、黄色=寂しがり屋に固執した私。
私は自分の子供時代を、「寂しく、辛く、一人ぼっちの悲しい不幸な時代」と定義している。
他人に話せるような楽しい話は、一つもない。
それどころか他人が自分の楽しかった子供時代の話をするとねたましくて、楽しい話が一つもない自分が悔しくて、他人の子供時代の話は聞きたくなかった。
けれど私もご飯を食べて美味しいと思ったり、甘いお菓子を食べてうれしかったり、物語に引き込まれて夢中になって読んだ本があったりしたはずだ。
一人で通う通学路は寂しかったけれど、色づく葉や霜を踏みしめた道、せみの鳴き声などに心を洗われていたに違いない。
夏休みも毎日、勉強机から窓の外を眺める自分はかわいそうだったけれど、田んぼの稲の緑や金色の美しさには心を奪われた。
「少しは楽しかったこともあった子供時代」に、色を塗り替えようかな。
灰色一色のように思っていた私の子供時代。
でも、灰色にもきっといい意味がある。
そしてたぶん、淡いグレーやきらめく銀色、輝く白も混じっているだろう。
輝いている色をクローズ・アップして、新たな子供時代の絵を描いてみようかな。
(ひまわりちほりん)阿修羅ガール ||次へ→
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