心の奥底から湧き上がってきた言葉で、自分を見つめよう
介護入門
ひまわりちほりん
「なぜ死にかかった老人を微塵も疑うことなくそこまで希望を持てたのか?」
と尋ねられれば、
現実が開けることを微塵も疑うことなく信じていたからだと返すしかない。
甘っちょろい希望などではない、
来る現実を既に僅かずつ所有しつつあることを確信していた、
微塵も疑うことなく!
YO、朋輩(ニガー)、合言葉は、「オバアチャン、ハヨ、カエロ」だ。
俺も母も、狂信的にその呪文を祖母の枕元で囁きかけ、手や足、顔をさすり全霊をその言葉の成就に傾けたんだ。
《妄信》じゃないぜ、《狂信》だ。
もし未だに祖母が病院にいたって、母と俺はどうすれば祖母を家に連れて帰れるのか考え、作戦に作戦を重ね、信じてきたことを続けているはずさ。
成功した自宅介護者としての余裕がそう言わしめるんじゃない、未だ《挑戦者》として祖母の自宅介護を続ける俺の余裕のなさが、瞬時に俺をあの頃あの呪文を唱えていた俺へと引き戻すのだ。
病院から家へ、今の俺はあの頃以上に疲れ切っていながら、あの頃の何倍も強く、俺を信じる力が俺と俺の外部も含めた現実を動かすと信じている。
信じていない言葉に魂は宿らない。
モブ・ノリオ著「介護入門」(文藝春秋)より。

これは2004年に第98回文學会新人賞、そして第131回芥川賞受賞を受賞した作品だ。
さて、自分のイライラを子どもに怒鳴ることで解消している私。
なかなか怒鳴ることが、やめられない。
でも、昨日の友人との電話でハッとした。
「怒鳴ったり怒ったりすると、運が悪くなるんだって」
元義母のお葬式を感謝で過ごした結果、それから連続10日以上も毎日いろんな人から食べ物をいただいた経験をした私は、その意味がよくわかった。
怒鳴ったり怒ったりするのは、感謝の反対だ。
だから感謝した結果と反対のものが自分に与えられるのは、当然だ!
友人は言った。
「食べ物をもらうってことは、生きることを許されているってことだよ。
ありがとうって思えたことは、一番の供養になったね。
一番うれしいことだったんじゃないかな」
なるほど。
怒鳴る私も、行き続けることを許されているのか。
しかも友人は、恐ろしいことを教えてくれた。
「怒ると快楽ホルモンが出て、癖になるんだって」
どひゃ~!
確かに子どもを怒鳴ると、快感だ。
ざまあみろと、自分の中の何かに復讐した気持ちになる。
復讐したいのは、子どもではないのに。
「怒鳴らないためには、どうしたらいいんだろうね?」
と聞いてみる。
すると友人はちょっと困った声になりながらも、
「やっぱり、ありがとうを言うことかしらね。
あったかい気持ちを持ち続けることじゃないかな」
と答えた。
ありきたりの話。
以前の私なら、そう思った。
でも自分の発する言葉が一番自分の脳に影響を与えると知った今は、なぜ悪口や怒りを自分の口から発しない方がよいのかがわかる。
なぜ、他人にありがとうを言うと自分に返ってくるのかもわかる。
「ありがとう」と誰かに感謝するのは、自分の脳を肯定し認めてほめるのと同じ。
「こらっ!」「バカ!」と怒鳴るのは、自分の脳を否定するのと同じだからだ。
子どもに怒鳴りそうになったら、運が悪くなると思うと気分が変われそうだ。
なぜなら最近は、つまらないな、ちっともいいことがないと思うと、まずは口角をぎゅっと上に上げて笑顔を作ることにしているからだ。
笑顔を作るだけで、ビッグ・プレゼントやサプライズが与えられることを体験したから。
お金もたぶん、お金お金と血眼になるより幸せを先に見つけたほうが入ってくるから。
だってお給料を一時的にたくさんもらっても、リストラされるかもしれない。
でも幸せだったら、お金がなくてもあっても幸せでいられるなら、
笑顔は必ず豊かさを連れてくるはずだ。
笑顔になると、頬肉をきゅっと上に上げると、肝臓にもいいらしい。
肝臓は”怒りの臓器”と呼ばれているけれど、我慢を溜め込むところだからね。
その肝臓にも作用して怒りも我慢も解放されて、ますます身体も気持ちも軽くなって幸せを感じられるのだろう。
ありがとうと笑顔で、怒鳴る癖を吹き飛ばしたい。
(ひまわりちほりん)世界の中心で、愛をさけぶ ||次へ→
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