心の奥底から湧き上がってきた言葉で、自分を見つめよう
王国
ひまわりちほりん
少し前は失ったものを嘆いていてばかりいたが、
今となってはなにも失ってなんかいなかったことがなんとなくわかる。
自分の心と体と魂、
それを持ってさえいれば、欠けるものはいつでもなにひとつなくて、
どこにいようと同じ分量の何かがちゃんと目の前にあるようなしくみになっているのだ。
もしそう感じられないのであれば、それは本人の問題に過ぎない。
よしもとばなな著「王国 その1 アンドロメダ・ハイツ」(新潮社)より。

他人の幸福を願うと、自分が幸せになれると聞いた。
ふ~ん、なるほどと思いながら、
すぐには他人の幸せを、願えない自分がいる。
なぜ?
だって、あの人が先に幸せになってしまったら、
私の分の幸せがなくなってしまうじゃないの!?
いちばん最初に豊かで幸せになった人だけが、
たくさんもらえるんじゃないの!?
そう思っていた。
でも、そうじゃないとも別の本で知っていた。
他人がいくら幸せになり豊かになっても、
まだ私の分が残っているほど、
この世は、この地球は豊かなんだと。
それなのに、
誰かが幸せで、お金持ちになる → 私の分がなくなる
という図式が骨の髄までしみこんでいて、
他人を祝福したり、他人の幸せを祈ったりすることができなかった。
ところが他人の幸せを願えるような人になると、
人相が変わるそうだ。
福相で苦労し、貧乏になる人はおらず、
貧相で金持ちに、幸せになれる人はいないそうだ。
娘が通う幼稚園にお迎えに来るお母さんたちの顔を毎日眺めながら、
ああ、この人は福相だなあ、
ご主人は幸せだなあ、
ステキな女性をつかまえたなあとか、
この人は毎日、苦しそうだな、
服もあまりおしゃれじゃないし、笑っていないし、
もっと顔をあげてにっこり笑えばいいのにとか、
自分を棚にあげて、
こっそり品定めをしていた。
でも最近、うらやましいほどきれいで楽しそうな人にも、
私より大変そうだなと思う人にも、
たくさんの幸せが訪れるように!
と、思い出しては心の中で言えるようになった。
なぜなら他人の幸せや成功を願っても、
私の分が減るわけではないとわかったからである。
他人が幸せになっても、
私が幸せになれる分も残っていると理解できたからである。
あるいは他人の幸せを願える方が、
自分も早く幸せになれると、近道を知ったからでもある。
他の人の成功や幸せと同じ量を、
私は受け取ることができるのだ。
そして私がもらったとしても、
まだまだ他の多くの人がもらえるくらい、
十分にこの地球には豊かさと幸せが存在しているのだ。
弱肉強食ではない。
天国や楽園を多くの人が享受しても、
少しも減らないくらい、この世は豊かで幸せに満ちているのだ。
地球も自然も神様も、決してケチではない。
私も他人の幸福を祈れるような、ケチではない人になりたい。
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