苺とチョコレートとハッピー

家族の話

さつま雨らら

9歳で反抗期を迎え
何回も親を警察に出向かせ
これじゃいかんと田舎に引越した途端
我が家を出て行った

あれから12年が経ち

彼女は戻ってきた


その月日の間に彼女は

男の子を産み母親になった。

そう私の姉である。


私たち家族は
彼女を中心に回っていた
と言っても過言じゃない。

今回、
彼女が横浜を離れ実家に戻る決意をし
それを母親に告げた一言に
私たち家族は涙も涸れ果てた後の出来事で、
ただ感無量であった。

今も昔も

私たちは彼女の言動に一喜一憂しているのだ。


そんな存在感の強い彼女らしく
人生のほうもそれはそれは激しかった。
それで本が3冊くらいかけそうだ。

彼女を動かした
あの原動力は何だったのか
それを語るには
親の話をしなくてはならない。

『親子』

という関係ほど
シンプルでいて
絡まりやすいものはないと思う。

私は子供がいないので
親の立場からは書けないが
親だって自分の親との距離に悩んだことはあるだろう。

赤ん坊が
親の関心を一心に受けたいと願うように
私たちは幾つになっても

親に見られ褒められ認められたいと思っている。

私が思うにそれは
親に愛されていることを知る
バロメーターだと思う。


大人になって

恋人が出来
親友が出来
子供が出来る
それでも
親からもらう愛は
生きていくうえで途切れてはならないものだ。

頭では

もう大人だからと
気にしないで生きているつもりでも
親から愛情を感じられない場合
その波は必ずどこかへ現れる。

これは両親が揃っているいないに関わらず
心を悩ます問題だ。

特に

親の愛を長年求め続け
ついには
憎しみや怒りに変わってしまった場合
それを解くのは難しい。

私も、長い間悩んできた。

親に分かってもらえないと
思うその感情ほど辛いものはない。
箇条書きにして
ああして欲しい
こうして欲しいというものではなく
何とはなしに
親に愛されていないと思うことは
すごく心細く不安なのだ。


私の家族は
まず姉が家をでることで
親にその痛みをアピールした。

だが親は子供たちにたいして
さらに否定的になり厳しくなった。
それに逆らわずついていったのが兄だ。

私は自分が否定されることも
もちろん辛かったし悲しかったけれど
家にいない姉を悪く言う親が許せなかった。

私はいつだって
彼女を想って泣いたし
幼いながらに彼女が死んでしまわないようにと
そんなことが起こらないようにと祈ったし
彼女を励まし続けた。


あの頃は

もう無理だと何回も思った。

姉と2人、
親と分かり合える日はもうこないと
嘆きあったりした。


泣き、願い、諦め、また信じ・・


12年という時間が流れて

私たちはついに分かり合えたと

そう言える日が来た。


親が理解してくれた


そう感じることが
こんなにも毎日を明るくするとは
思ってもみなかった。


新しいことに挑戦してみよう

どんな問題も解ける


そんな自信が沸いてくるのだ。


親が死ぬ前に
分かり合えた私は
なんと幸せ者だろうか

私は孫が出来ても
この感動は忘れられないと思う。

願い続けて良かった。

父親に会ったことがない甥っ子も
『親子』
という形に悩み苦しむだろう

だが

彼が彼の形の答えを見つけ出すことを

私は断言出来る。

父親も母親も

兄も姉も

甥っ子も

みんなが

それぞれの愛を見つけだし

信じていけたらと願う。




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